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木質バイオマス発電所で懸念されること

今、全国で木のチップや林地残材を利用した木質バイオマス発電所が建設されています。国土の67%を森林が占め、放置森林が問題となっている日本では、地産地消の自然に優しいエネルギーとして注目を集めています。確かに、カーボンオフセットの考え方で行けば、新たな二酸化炭素の発生もなく、森林の成長量分で電力を賄うことができれば、自然に優しいエネルギーだということもできます。  

しかし、現在日本各地で計画されている発電施設は、効率を求めるあまり施設が非常に大型化しており、木材の不足が懸念されるようになってきています。  

現在、稼働及び計画の多い5000kw程度の発電施設に必要な木材の量は、県が現在年間に出荷している木材量と同程度の量が必要となると言われています。県によっては複数のバイオマス発電施設が建設されている地域もありますし、10,000kwを超えるような大型施設が建設されている県もあります。  

このような状況から既に、木材の需要が増大し木材が不足してきているような県もでてきています。更にこの影響はパルプなど大量の木材を使用する業界にも表れてきています。また、国は木材を利用した夢の素材と言われているカーボンナノファイバーの導入を積極的に推進しています。  

太陽光発電の場合がそうであったように、国が無計画に補助金で自然エネルギーの推進を行った結果、補助金目当てに各地でメガソーラが建設され、様々な問題が発生しています。木質バイオマス発電も基本的には補助金なしでは成り立たない事業です。このままでは自然に優しいどころか、森林破壊につながりかねない状況となることが懸念されています。

また、不足する木材を海外で賄うことになれば、一時期日本が世界の森林資源を大量に輸入し、熱帯雨林の森林破壊を助長し国際的に批判を受けた再現となる可能性があります。事実、木質バイオマス発電のチップ材の一部には海外からの輸入材が含まれています。

木質バイオマス発電が悪いものだとは思いませんが、限りある森林資源を有効に活用するためには、現在のような無秩序な計画を見直し、国が主導して森林資源の計画的な利用を行って欲しいものです。 日本は過去にも森林行政では様々な失敗をし、現在も自然エネルギーの導入では様々な問題を抱えているにも係わらず、反省が生かされないのは残念です。

補助金でこれだけ電気を作るのであれば、原発の稼働停止や電力自由化の際に、海外でも行われているように少し電力量は高いが自然エネルギーを使用したいなどの選択肢を設けるべきだと思います。

自然の伝道師

コンパクトシティと立地適正化

コンパクトシティと立地適正化  


この二つの言葉を皆さんはご存知でしょうか。この二つの言葉がこれからの私たちの暮らしを大きく変えることになるかもしれません。 しかし、あまりこれらのことについて議論が行われていないことに違和感があります。  

コンパクトシティという言葉は、最近新聞などでも見かける機会が多くなっています。住んでいる地域を小さくまとめ住みやすい町を作るというもので、立地適正化はその制度を進めるための、いわゆる土地の線引きを決めるようなものです。住居や商業施設などの誘導区域を設定して、ここに集約することが望ましいといった地域を決めていきます。立地適正化の目玉は居住誘導区域で、ここに様々な生活基盤を集中させ、お年寄りが歩いて買い物や病院に行けたり、交通基盤を整備して他の地区への通勤、通学を便利にするなど様々な特典が与えられるようになります。  

この制度自体は確かに悪いものではないと思います。今後高齢化社会が進行するなかで、町を小さくまとめ行政サービスの行き届いた住みよい町づくりを目指す。行政もお金が無いなかで、町を小さくまとめることによって経費を削減しながら行き届いた行政サービスが可能になるなどのメリットがあります。  

ただ、問題はこの居住誘導区域から外れた地域に住んでいる人たちです。居住誘導区域外の地域は白地として、今後行政サービスなどが受けにくい状況になる可能性があります。また、住宅会社などによる住居の建築が規制されるようになり、3軒以上の家を建てる場合には許可が必要となります。山間地では土砂災害危険区域の指定もあり家の建て替えが困難な場所も増えている状況です。  

更にもう一つの問題点として、資産価値の問題があります。既に不動産業界などでは話題となっているのですが、白地の地域では今後行政からの支援が受けられないということで、不動産としての価値が大きく下がるものと判断されます。このことによって、新築住宅においても急激に資産価値が下がる可能性があります。このような場合、余程自己資金や収入面などがしっかりしていないと、家の建て替えの際に銀行からの融資が受けにくくなる可能性があるのです。  

ただでさえ人口減少の著しい中山間地において、このような政策が実施された場合人口減少は加速し、地域社会はあっという間に崩壊することが予測されます。国や市などの行政も当然こうなることは予測しており、空き家対策法などを整備しこれらの管理にあたろうとしています。 更に、一時的に人口が加速的に減少する中で空き家や耕作放棄地が増加し、生活が困難となることが予測されるため、高齢者の生活支援などを目的にNPOを整備して対策にあてるという方針が検討されています。 私も中山間地のNPO団体に所属していますが、私たちの活動が結果的には集落が無くなる際の後始末のような活動になってしまうのではないかと危惧しています。

そして、最終的に人がいなくなった地域については木を植えて森林に戻すか、農地を集約して活用するといった方向で検討が行われています。 日本人は長い歴史の中で、山と町に住む人々がバランス良くそれぞれの暮らしを守り国土を守ってきました。 中山間地の人々の暮らしには長い歴史があります。

国土交通省の2050年の無居住化予測ではこのような山間地の大半が無居住化すると予測されています。 以前にも記載しましたが、秋田藩の家老で秋田藩繁栄の基礎を築いたとされる渋江政光は以下のような遺言を残しています。

「国の宝は山也、山の衰えは国の衰えにつながる」

本当にこのまま、日本は山を山で暮らす人々の暮らしを捨ててしまっていいのでしょうか。 そして、このようなことがほとんど議論さえ行われずに進められてしまっていることに憤りを感じます。微力ではありますが、この情報発信によって少しでもこのことを知って頂き、考えていただけるきっかけになればと思います。


自然の伝道師

昔の自然は本当に豊かだったのか?

昔の日本の里山は人と自然が密接していた

良く昔は自然がたくさんあって良かったのに、今はどんどん自然が失われていくという言葉を耳にします。この昔とはいったいいつ頃のことなのでしょうか。そして、昔の自然は本当に豊かだったのでしょうか。  

実は昔の日本の里山は、今と比べるとあまり自然が豊かではなかったのではないかと言われています。今と比べると開発は進んでおらず、山も自然の状態で残されていたはずなのに、何故自然は豊かではなかったのでしょうか。  

それは、人々が自然と密接な暮らしをしていて、山の様々な植物を生活に利用していたためだと言われています。山菜はもちろん、薬草や繊維、燃料など人々はあらゆる植物を生活の中で利用してきました。林の下の落ち葉までかき集めて利用したため、山の土は痩せてしまい里山周辺はアカマツを中心とした痩せた樹林地であったと言われています。私たちのご先祖様というよりも、長生きしているおじいさんくらいの世代まで、里山で生きる人たちは自然と密接に結び付いた暮らしをしてきました。  


私の住む引佐町も、以前はシカやサルなどがあまり見られなかった時代があります。里山周辺には餌が無く、またうかつに里山に近寄ると捕まって食べられてしまうなどの危険もあったためだと思われます。  

今の里山の方が昔よりも自然が豊かでは?

しかし、近年の里山は農作物のほか耕作放棄地などに餌となる植物が豊富で、多くの動物たちが里山に集まってくるようになりました。ある意味今の里山の方が昔よりも自然が豊かなのかもしれません。  


そして、動物たちが里山に集まってくるようになった理由はもう一つあります。それは、森林が放置されたことによって、奥山と言われる環境に動物の餌が無くなってしまったためです。  山奥でのどかに暮らしていた動物たちの住みかを戦後の拡大造林で奪い、山奥から里山に降りてきた動物たちを有害獣だと駆除してしまう。本当の意味で動物と人間が共存できる社会を目指すのであれば、今一度奥山を動物たちの暮らす自然豊かな山に戻し、里山は人間がきちんと管理し動物たちの餌を少なくすることで、自然に動物と人間が共存していくことができるような社会が作れるのではないかと思っています。  

そして、里山は薬草をはじめ様々な魅力ある植物で溢れています。一昔前まで暮らしの中に取り入れられてきた知恵が失われてしまう前に、今一度里山の植物資源を見つめなおす時期にきているのではないかと思います。

日本消滅 行動を起こすとき


上の図は2050年までに人がいなくなってしまう無居住化地域を示したものです。この年、日本の人口は1億人を割りここを境に日本全体の高齢化と人口減少が加速するとされています。  

私の住んでいる地域もこの無居住化地域に含まれています。これから35年後に自分の住んでいるこの地域が消滅してしまうということは、にわかには受け入れがたいことです。 そして、この町へ町への人の流れはやがて日本そのものを追いつめていくことになるでしょう。

都市部では住宅事情や教育の問題などから、地方と比較すると出生率が低くなる傾向があるとされています。 都市部への人の流れは、日本の人口減少と高齢化を加速させ、やがて日本全体が限界集落のような状態に陥る可能性も指摘されています。

国もこうした動きに危機感を持ち、地方創生を掲げ行動を開始しました。しかし、小手先だけの改革ではこの流れを止めることはできません。 国をあげた企業の地方移転の促進、政府機能の移転、計画的な地方での拠点造りを行っていかなければ、この流れを変えることは困難です。

秋田藩の家老で、秋田藩繁栄の基礎を築いたとされる渋江政光は以下のような遺言を残しています。

「国の宝は山也、山の衰えは国の衰えにつながる」  

国土の7割近い面積を森林が占める日本。山と地方を捨てることは遺言の通り日本の衰えにつながることでしょう。  

今から、たった35年後にこれだけ多くの地域で人が住めなくなるということを予測しているのであれば、もっと迅速に行動を起こしていく必要があるのではないかと思います。そして、地方に住む人たちももっと声をあげ、自分たちの住む地域を守るための行動を起こす時期にきています。

参照:国土交通省 2050年までに無居住化する 地点

自然の伝道師

オオカミのいない日本

私たちの命をも脅かす非常に重大な問題

下の写真はある地域の森林の写真です。なにか違和感がありませんか。変だなと思ったあなたは山を良く知っている人です。通常下の写真のように明るい林では、林の下に低木や草などが生えているのが普通の状態です。

下草のない林が増えています

でも、日本各地の森林では下草の無い、写真のような林が増えています。なにが問題なのかと思う人もいるかもしれませんが、実は私たちの命をも脅かす非常に重大な問題が各地で発生しています。

何が問題なのか?


林の下に生えている下草は、降ってきた雨水を地中に浸透させて、雨水や表土が大量に川などに流れ出すのを防止します。しかし、上の写真のような状況だと雨水は一気に流れだし、重大な土砂災害の引き金となる可能性があります。近年土砂災害が増加している一因はこのような森林の状況にも起因しているのではないかと思われます。

各地の山には砂防堰堤といって、土砂の流出を防止する堰のようなものがあります。一度山にいってこの砂防堰堤を見てください。山のいたるところに砂防堰堤があり、その砂防堰堤が土砂で埋まってしまっている状況を目のあたりにすることになると思います。

それでは、なぜこのような状況が起こっているのでしょうか。植林された森林が放置され林床に陽が当たらなくなると、当然に林床に植物が生育できなくなります。実際このようなケースで植物が生育できなくなっているケースも多く見られます。そして、もう一つが写真のように明るい林なのに植物の生えていない森林です。原因はなんでしょうか。

原因は何か?


実はこの原因はシカの食害です。今、日本各地でシカの個体数が非常に増えており、山の植物が食べつくされてしまっています。

シカの食害は災害の増加のほかにも、森林の生態系に重大な影響を及ぼしています。植物が食べられてしまうことによって植物そのものが減少しますし、植物を餌としている昆虫、昆虫を餌とする鳥や小動物が減少するなどして日本の森林全体が重大な危機に直面しているのです。

シカの急増の原因は天敵がいないこと

それでは、何故シカが急激に増加してしまったのでしょうか。シカの増加には様々な原因はありますが、私はシカの天敵であるオオカミがいなくなってしまったことが大きな原因ではないかと考えています。

シカのような大型の哺乳類は、キツネやタカなどの肉食動物でも狩ることは難しく、現状では人間以外にシカの天敵がいない状況です。昔はオオカミがいて、オオカミがシカを急激に増加することのないよう個体数を調整する役割を果たしていました。しかし、天敵のいなくなった今、シカの増加を抑えることのできるのは人間以外にいません。ただ、狩猟者の多くは高齢化してシカの個体数を調整するのが難しい状況になっています。

どうすれば良いのだろうか?


狩猟者に変わってシカを抑えるために、オオカミを日本の山に放せないかという議論が一部でおこっています。オオカミを放すなんてそんな馬鹿な、人が襲われたらどうするのかと思う人がいて当然です。

でも、日本の過去の記録を調べてみると家畜がオオカミに襲われた記録はあっても、人が襲われたという記録はないと言われています。アメリカやヨーロッパでは一部でオオカミを山に放す実験が行われ、一定の成果が挙げられています。

一つの歯車がくるうと、生態系は大きく崩れてしまいます。人間の身勝手によってオオカミを絶滅させてしまった付けが今人間にはねかえってきています。

山を捨てる日本 その1

平成の大合併その後

今、国内では山間部の過疎化や高齢化が問題となっています。国は2050年度には国土のなかで人が居住している地域が6割から4割に減少するという試算を先日発表しました。

国がこのような試算を発表する場合には、山間地の人口構成比だけで無く、産業構成、人口動態など様々な要因を加味したうえで推計を行っています。

山間地の人口減少は地方が抱える様々な問題もあるのですが、政府の政策によっても大きく左右されます。その一つが平成の大合併だったのではないかと私は思っています。

山間地で暮らす人々の人口別産業構成比として、一般的には農林水産業などの第一次産業を中心に、役場、農協、森林組合といった公的な業務及び土木建築業などの占める割合が高くなっています。

しかし、市町村合併により公的機関は中心部の機関に統合され、入札エリアの変化により町の土木事業に中心部の業者が参加するなどの変化が地方の衰退に拍車をかけているように思えます。

行政的にもこれまでの役場が地方の出張所となり、議員も多数を占める中心部の議員に飲みこまれ、地方の声は弱まるばかりです。 

更に、これに追い打ちをかける動きが現在着々と進行しています。国土交通省では現在国民の生命を守るという大義の基「土砂災害防止法」に基づいて土砂災害警戒区域の指定を行うための作業を行っています。

もちろん、自然災害が増加している現在、危険な地域を指定して国民の生命を守るという必要性はだれもが認めるところです。しかし、私が問題としているのはこの指定方法であり、指定後の規制が今後山間地、中山間地の過疎化を加速させるものではないかと危惧しています。

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山を捨てる日本 その2

中山間地の過疎化が加速する

この指定は、「傾斜角30度以上、高さ5m以上ののり面」などの数値によって一律に「土砂災害危険区域」「土砂災害警戒区域」を指定するものです。

国は土砂災害防止法の中で、「住宅等の新規立地の抑制」、「既存住宅の移転促進」をうたっています。

特に問題なのは「既存住宅の移転促進」です。この指定を受けた宅地についても住宅の建て替えは可能なのですが、住宅を建て替える際には家の裏側にある土砂が崩壊した際に、その土砂が家に流れ込まないような構造物を造る必要があります。

しかし、この構造物が家の価格より高くなってしまう場合もあります。更に、「土砂災害危険区域」に指定された場合、不動産取引の際にも土砂災害危険区域であることを周知する必要があり、移転しなくてはならないが土地も売れないという事態が発生する可能性もあります。

このような指定を受けて移転を行う場合は一定の補助があったり、場所によっては公的事業として土砂災害防止対策を行うようですが、山間部の多くの地域では移転を促進するための措置がとられるのではないかと危惧しています。

この法律は本当に国民の生命を守るための法律なのでしょうか。

土砂災害危区域に指定される地域のなかには、災害も無く数百年間その土地に住み続けているような場所もあります。土砂災害の危険性は土地の傾斜角だけでなく、地質、地下水、植生など様々な複合的な要因によって発生するものです。

特に、植生環境の衰退は重要で、多様な森林環境を有する地域では植物の根がしっかりと土壌を固定するほか、大量に降り注いだ雨水についても一度に地表を削りながら流れ出すのでは無く、植物を通して地下に多くの水が浸透し、土砂の崩壊を防いでいます。

しかし、現在多くの森林が放置され真っ暗で下草も生えていない森林が多くなっています。荒れた森林は土壌の保持能力が弱く、災害の発生しやすい状況にあります。近年、土砂災害が増加している要因は山地の荒廃にあるといってもいいのではないかと思っています。

これらの指定によって、山地に住む人たちが山を離れた場合、山の荒廃は更に加速していくことでしょう。しかし、山地の荒廃は決して山間部に住む人たちだけの問題ではありません。

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山を捨てる日本 その3

都市に住む人間への影響


山が荒れることによって、山地の保水能力が低下し、下流部の河川の氾濫回数が増加することが予測されるほか、水源涵養能力の低下による渇水などの影響もでてくる可能性があります。

今回の国土交通省の土砂災害危険区域の指定方法はあまりにも短絡的で、私には山間部の人を追い出して人口の都市部集中を促し、今後増大することが予測される道路、橋、水道などのインフラ関連の補修費の節減を考え、計画的にこのような指定を行っているのではないかと思えてきます。

確かに、増大する国債、医療費、年金などの社会保障費、高齢化、人口減少に伴う税収の減少などを考えると今の段階から様々な対策を行っていく必要はあるものと思われます。

でも、多くの人々が暮らしてきた故郷、そして国土の7割近くを占める山を私たちは捨ててしまってもいいのでしょうか。今のように国主導で、住民に対しての十分な説明もないなかで、いつのまにか自分の土地に住めなくなっていたというのでは無く、国民一人一人が将来の日本のあり方について考えていく必要があるのではないでしょうか。

自然の伝道師

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