私は自分でいうのもなんですが、いたってまじめで普通な人間です。でも。みんなは私のことを変わった人間だとか、おかしいやつだと言います。でも私は思っています、私がへんなのではなく周りがへんなのだと。
こんな私ですが、自然や環境のことにはとても興味があり、身の周りの自然や環境を調べたりしています。そんな活動のなかでこれはすごいと思う事や、これはどうしてもほかの人に伝えたいと思う事がたくさんあります。反対に環境や政治など、これはおかしいと思うこともたくさんあります。いたってまともな私が変だと思うことはきっと変なのではないか、私はそう思うとみなさんに情報を発信してみたくなりました。
こんな私ですが、自然や環境のことにはとても興味があり、身の周りの自然や環境を調べたりしています。そんな活動のなかでこれはすごいと思う事や、これはどうしてもほかの人に伝えたいと思う事がたくさんあります。反対に環境や政治など、これはおかしいと思うこともたくさんあります。いたってまともな私が変だと思うことはきっと変なのではないか、私はそう思うとみなさんに情報を発信してみたくなりました。
いたって真面目なおやじの独り言ですが、みなさんに少しでも聞いて頂けると幸いです。今、身近な自然の中で起こっている最大の問題、それは人々が自然に興味を示さなくなっていることです。山の中の自然が荒廃し、目に見えないところで自然が失われていても、そのものに興味がなければ失われたことに気が付くことさえできません。
私は仕事である山奥の集落にいきました。廃村になり誰も住んでいないと思っていた集落の前を通りかかったとき、誰もいないと思っていたこの集落の縁側に一人の老人がたたずんでいることに気づきました。老人はただ静かにたたずみ、この世のものではないような目をして、なにを見るでも無くただ前を向いていました。
老人はなにを見ているのでしょう。変えようの無い未来、やがておとずれるその日をただ待つように、なにを望むでも無く、なにを訴えるでも無く、ただその日を待つように静かにたたずんでいるように私には見えました。
小さな集落、小さな自然、小さな命、声にならない叫び声、誰にも気づかれず、叫びも届かないなかで多くのものが消えていっています。
今の私にはなにもできません。でも、届かない叫びを少しでもみなさんに伝えることができれば、私はそう思っています。もちろん、ただ叫びを伝えるのではなく、私の知っているつたない知識の中で、少しでもみなさんに興味を持って頂けるような情報を発信し続けていければと思っています。
私の活動ははじまったばかりです。今後とも末永いお付き合いを頂ければ幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。